指揮者・延原武春/新たなるスタート


W.A.モーツァルト生誕250年プレコンサート
/第164回定期演奏会を終えて


今また古楽からモダンへ、新しい機軸を追加
演奏会の内容
 去る6月17日(金)いずみホールで開催した第164回定期演奏会では、満員となるお客様にご来場いただき、成功裏に収めさせていただきました。また、アンケートや電話などを通じて沢山のご好評をいただきました。心より厚く御礼申し上げます。

 指揮者・延原武春はこの演奏会を、延原自身および日本テレマン協会の新たなるスタートと位置づけ、格別の気概をもって指揮台に上がりました。延原は1963年同協会を設立、指揮者として室内管弦楽団、室内合唱団などを率い、また他のオーケストラに客演するなど国内外で演奏活動を展開し、協会代表として「第17回サントリー音楽賞」「文化庁芸術祭優秀賞」などを受賞しています。
 しかし、延原はこの40数年、模索の連続だったと語っています。関西という土地にこだわり、舞台から降りて聴衆に語りかける特異な音楽家として、バロック音楽に取り組み、その普及・啓蒙を柱として活動し、また多くの演奏家を育ててきました。類まれなる独特の音楽的嗅覚を持って世の中の動きをいち早く感じ取り、「バロック楽器」による演奏活動など次々と新たな取り組みの先駆けとなってきました。

 その最も顕著なものが古楽アンサンブル、コレギウム・ムジクム・テレマン(CMT)の活動です。20数年前に取り組みを始め、中野振一郎を迎えて独自のバロック演奏語法を確立し、合唱団も含めて古楽の演奏スタイルが一定のレベルに達したと延原は認識しています。そして今、模索し続けることをやめ、これらの基礎体力を踏まえた上でのモダン楽器演奏を新たな課題として確かな一歩を踏み出したい、そしてその題材にはバロックと古典をつなぐ役割を果たしたモーツァルトが相応しいと考えたのです。

 中野振一郎を軸とし益々磨きをかけ続けるバロック演奏に加え、本物のバロック演奏スタイルを身につけた団体だからこそ可能なモダン楽器演奏への取り組みをご期待ください。

 演奏会プログラムノートから、産経新聞の寺西記者の「指揮者・延原武春/新たなるスタート」を転載します。延原武春の思いが凝縮されています。どうぞご覧ください。

     
指揮者・延原武春/新たなるスタート(産経新聞 大阪本社 文化部 記者 寺西 肇)
 「大切なのは、『どれだけ奏者を遊ばせられるか』やと思う。確かに個々の奏者の能力を一つに集め、解き放つ、というのは指揮者の仕事やけど、演奏者の潜在的な能力まで引っ張り出すというようなことは、とてもできない。基本的に、奏者には自由に遊んでもらって、指揮者自身も遊べばいい。そうすれば、演奏は勝手に肉付けされてゆくと思う」。指揮者にとって一番必要な能力とは何かと尋ねた時、延原はこう答えた。

 「音で遊ぶ」には、それなりの裏づけ、つまり個々の演奏家が思い描く理想の響きを的確に音にするための技術が必要だ。だが、それを学ぶために、彼から指揮や室内楽の教えを受けると、一般的なレッスンのイメージとはかなり違う。「こうしなさい」ではなく「こうやった方が、ええんとちゃう?」。あるいは「音楽は、ちゃんと分かってはるわ。後は、どうやるかだけやな」…。彼にとって、棒の振り方の基本を教え、フレージングやアーティキュレーション、音程を直すといった、作業・は、いかに奏者が考えている理想的な音楽に表現を近づけてゆくか、その道筋をつけるためなのだ。

 「何か素敵なことが起こるんとちゃうか」。おそらく本人も気づいていないだろうが、延原の口癖のひとつだ。この言葉を口にする時には、例えば「バロック楽器を道具として揃えたら…」「思い切って、若い連中の考えや感性に任せてみれば…」という前置きがあった。素敵なこと、何か愉快なこと。音楽を通じてこれらを実現することが、彼の人生の過大なのかもしれない。
 高校時代から独特の音楽的な嗅覚でバロックの深遠な世界に足を踏み入れ、早くから古楽興隆の動きまでも敏感に感じ取り、その演奏に力を注いできた延原。一方でジャズやシャンソンにも手を染め、プロフェッショナルとしての気高さを決して忘れないながらも、時に我々アマチュアとも一線を画することはない。そして、時に聴衆に語りかけ、音楽それ自体の愉しみを自在に体現してきた。

 そんな延原に「あれは、プロがする仕事じゃない」「彼のアプローチは、キワものだ」などと風当たりが大きかったのも事実だ。彼の音楽への柔軟性は、時に、軽さ・と受け取られる。国内においては、特にオラトリオを中心とする宗教声楽曲の解釈では他の追随を許さないほどの高い能力を持ちながら、その誤解ゆえに時には正当な評価が妨げられるジレンマにもつながった。だが、彼は一向に気にする風もなく、四十年以上にわたって、そんな姿勢を貫いてきた。

 今日ここで延原が取り上げるモーツァルトは、来年に生誕二百五十年の記念の年を迎える大作曲家と言うだけでなく、バロックと古典をつなぐ「時代の仲介者」でもある。まさにバロック楽器とモダン楽器、さらにはクラシックとポピュラー音楽を自在に往き来しながら、独自の音楽観を育んできた延原にふさわしい存在の作曲家と言えよう。

 「特に『レクイエム』は、これまで何回取り上げたか、数えらというれないくらい。でも、定期で取り上げるのは、不思議に初めてやなあ」と延原は笑う。そして、バイヤー版(最新の研究成果を踏まえて、ジュスマイヤー版に修正を加えた版)の楽譜を愛用してきた彼が今回初めて、オリジナルのジュスマイヤー版で演奏に臨む。「僕は殊更に『原典主義』とか言うつもりはないんやけど、ジュスマイヤーという弟子が、モーツァルトと同じ時代を生きたということの重要性を大切にしたいと思ってね」。何十年にわたっての演奏の蓄積から、ここでひとつの結論を導き出した訳だ。

 「バッハが亡くなった一七五〇年を節目にバロック時代は終わることになってるんやけど、実際にはその後の三十年間くらいは、バロックと古典派、両方がミックスされたような時代やと思う。だから、僕に対して過度に期待されてるような、極端な古楽的発想もあえて避けて、その時代特有のロマンティシズムみたいなものを現代的な形でぶつけていきたい」

 「僕としては、自分の中の何か良い部分を認めて呼んでくれるなら、どこでも喜んで行こうとは思ってる」。かつて「他の楽団への客演を増やすべきでは」とけしかけた私に控えめに語っていた延原。しかし、つい先日、そんな彼の表現が少し変化したことに気づいた。

 「僕はね、他人から力を貰って、勉強するタイプやと思う。これまで海外からのソリストの伴奏をしたり、あるいは弦も管も鍵盤も…あらゆる楽器の奏者のレッスンをする中で、自分もすごい勉強をさせてもらった。そろそろ、それらを『発信する時期に来てるのかも』しれへんね」

 「日本テレマン協会代表・延原」から「指揮者・延原」への明確な意思表示。今回は、いつもの定期演奏会と景色こそ変わらないかが、指揮台に上がる彼の気概は少し違っている。「十年後はただのオーボエ吹きに戻ってるかもね」と笑う延原だが、その前になすべきことは多い。そのために、自らが育てたテレマン室内管弦楽団と合唱団、そしてソリストたちとともに、新生・延原武春・の第一歩を踏み出すステージが今、幕を開ける。
(’05・06・20掲載)

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