ゲオルク(以後G):最近印象に残った出来事は?
アレキサンダー(以後A):先日、テレマンさんの夙川の公演にある学生と一緒に行きました。彼はイスラム 教徒で、教会に入るのも初めてだったのですが…。終演後近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら感想を聞い
たところ、葛藤を伴った感動をどう心の中で処理してよいのか随分迷っていたようでした。
つまり彼の中では純粋な音楽に対する感動とともに、イスラム教徒としての立場がある…個人の感動と一 神教を背景にした思考。素直な人ほど悩むのでしょうね。こういった光景はとても新鮮で印象的でした。
G:アレキサンダーさんの研究はそういったところに主眼が置かれていると考えていいのでしょうか?
A:簡単に言いますと…国家と個人の関係を考えているんですよ。個人のアイデンティティーと国家がもつ拘束力・強制力…両者のミスマッチに興味があるんです。ですから先ほどの学生のケースなどは、研究として興味のある話でもありますし、個人としても共感するところがありますね。
G:日本でも少子化が深刻な問題となっていますが、それに伴って移民の問題も起きてきているように思います。中曽根政権の時代には一応留学生ウエルカムの姿勢を見せていた日本ですが、今は逆にまた閉鎖的になっているように思います。そんな中でアレキサンダーさんの研究が日本で行われているということに興味を感じます。そもそもこの国についてはどんな感想をもっておられますか?
A:20年前にこの国が移民に対してウエルカムだったかどうかといえば、そうとも言えなかったように思います。ただ便宜上「国際化」という波があって、その恩恵で私も今ここにいると言えるでしょう。多分日本にこれだけ長く居れたのも、そのおかげだと思いますよ。だけど…日本は多様性に対して非常に警戒するところがあるように思います。個人レベルでは結構オープンな人も多いとは思いますが、公的レベルでは壁が厚い…。
また「全ての人間には一つのアイデンティティーがある」という信念も強くて、「容姿がこうならこういったアイデンティティー」、「国籍がこれならこういったアイデンティティー」という単純化された考えをもっています。ですから「外国人は外国人らしく」…そんなプレッシャーをいつも感じさせられています。
しかしこういった状況下で二世はさらに違った問題を抱えています。日本で生まれ育ち、「第一言語」といえば日本語であるにも関わらず、どこにもアイデンティティーを見出すことが出来ない…中には家庭で会話の出来ない子供だっているそうですよ。一言で言えば実に難しい国ですね…。
G:アイデンティティーということならば、EUでも同様の社会問題が起きていますよね。フランスの暴動やムスリムの漫画、あるいはネオナチ…そういった潮流の中で人間は何をどう考えるべきだと思われますか?
A:研究者としていうと…「私は誰か」と考える時、完全に一人であればその思考自体が意味を失いますよね。他者がいて初めて「あの人と私は違う」ということになる…だから他民族との交流が一切なければ「自分たちが何者なのか」について特別に考える必要もないわけですね。
でも例えばEUが出来て、それを拡大するという時に、「どこまでを入れるか入れないか」、「どういう基準で入れるか入れないか」という考えが生まれてくる…必然的に「『我々』という枠はどこまで伸ばせて行くことが出来るのか」という問題がでてきますよ。するとそれを「脅威」として考える人も出てくる…「彼らも『我々』の一部だったら、我々自身はどうなるの?」。それを政治的なスローガンにする政治家も出てくるし…。
これはとても難しい問題だとは思います。「ナショナルアイデンティティー」というのは大事かもしれませんが、全てではない。それを超えて何らかの連帯というものが出来なければ、救いはないでしょう。でも国家はそれが出来ないので、市民の間でどういったふうに作っていけるのか…そこに期待をしていますが、なかなか難しいですね。
留学生だって名前より国籍の方が重要視される日々を送っていますからね。「どこの出身?」と聞かれるより「おなかがすいてるの?」って聞かれたい…そんな思いの人も多いのではないかな(笑)。冗談は抜きにして、今でもよく聞かれますよ。「いつ帰るんですか?」…ってね。これを私は「うっかり暴力」とか「うっかり差別」なんて命名していますが…当人は何が悪いのかまるっきり気がついていないんですよ。30年日本にいても「お箸を使えますか?」って週に一回はきかれますしね…。
G:岩波書店から面白いDVDを出版されていますね。確か…猫のポーポキを通して平和を考える…という形式のものだとか?
A:私の専門は平和学です。研究室を離れて平和について考える講演も様々なところでやってきました。その講演の中で平和のイメージについて質問をするんです。「平和はどんな色?」「平和ってどんな味?」…こういった講演を聞かれた方の中に「子供向けにそういう本を出したらどう?」と言ってくれた人がいたんですよ。私も面白いと思って、こういう質問を続けていく形式で進む本を書きたいと思ったのです。
でもね…とても難しかったんですよ。この質問に私としては答えを出したくない。でももちろん編集サイドとしてはある程度の答えは出して欲しいという…結局一旦は挫折してしまったんですね。ところが15年飼っていたポーポキという猫が亡くなってしまったんです。亡くなって二日くらい経った頃だったでしょうか、三宮を散歩していたら花壇を見たとき、ポーポキがいつもお天気の良い日に気持ち良さそうに風のにおいでもかいでいるような顔をしている…そしてふと思いついたんです。「ポーポキの目線で平和を考えてみてはどうだろう?」…その足で色鉛筆とスケッチブックを買ってきて書き始めたんです。その本はまだ出版されていませんが、平和教育の教材の一環としてDVDになりました。
G:確かにこのDVDブックの冒頭で猫が語る「平和」の考察はとても印象的でした。子供を交えて、こういった方向で考える瞬間というのが非常に乏しいような気がしますね…
A:日本の平和教育の現場では主に「反戦」を教えています。「戦争はだめだ」「戦争をしてはいけない」…でも戦争はある日突然始まるものではなくて、徐々に戦争に向かっていって、戦争になるわけですよね。だから弾が飛ばなくなったら平和なのかといえば、そうではないでしょうし。平和はもっと複雑。今の世界で平和をつくるためには平和の意味について考える機会が必要だと思いますね。
G:平和というのはあらゆる分野の人間にとって平等に課される課題だと思いますが。例えば我々「文化」のサイドの人間、もっと限定をして演奏家にも役割というのはあると思われますか?
A:それは大いにあるでしょう。演奏家も団体も社会の一員なのだから、政治は政治家に任せて…ということではなく、自分の思いを表現するべきだと思います。人間の表現能力は文字だけに限定されているものではないので、音楽や絵画でもそういった表現は可能ですし、むしろ文字よりもさりげなく「考える瞬間」を生み出すことが出来るのではないでしょうか。例えば戦争や平和がきっかけで生まれた曲というのも沢山ありますので、そういった曲を平和のためのトークを交えて「歴史的背景」として知りながら演奏を聞く…というのも面白いのではないですか?今はあらゆる角度から平和について考えることがとても大切な時代なんだと思うんです。
日本という国をどうしてゆくべきなのか…これは全ての国民が考えてゆかなければいけないことですし、演奏活動もそういったこととは完全に切り離すことは出来ないのではないかと思います。
G:ありがとうございました
ロニー アレキサンダー
略 歴
イェール大学卒
国際基督教大学大学院 行政学研究科 博士前期課程修了
上智大学大学院 外国語学研究科 国際関係論専攻 博士後期課程修了
行政学修士 (国際基督教大学)
文学博士 (上智大学)
神戸大学法学部助手、助教授などを経て
現在、神戸大学大学院 国際協力研究科教授 (法学研究科兼務)
おもな著作
『大きな夢と小さな島々:太平洋島嶼国の非核化運動にみる新しい安全保障観』 国際書院,1992.
「オリエンタリズム批判への警鐘:非核・独立太平洋運動からみる 「太平洋アイデンティティ」」 春日直樹編 『オセアニア・オリエンタリズム』 世界思想社,1999.
『私たちの平和をつくる:環境・開発・人権・ジェンダー』 法律文化社,2004 (高柳彰夫と共編著).
「ジェンダーの視点から見た安全保障」 五十嵐暁郎・高原明生・佐々木寛編 『東アジア安全保障の新展開』 明石書店,2005.
「ポーポキのピース・メッセージ」 立命館大学国際平和ミュージアム監修 『平和ミュ-ジアム』 岩波 DVDブック Peace Archives.岩波書店,2005.
「セクシュアル・マイノリティの平和学:性的多様性が容認される社会の創造に向けて」 岡本三夫・横山正樹編 『平和学のアジェンダ』 法律文化社,2005.
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